ジョンソンRの徒然日記

よつばと!に癒しを求めるクソオタク供へ

どうしようもなく嘘つきの君に

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 テレフォンカード。財布を新調し、カード類の内容物を入れ替えのため整理した際に見つけた。携帯電話が普及した昨今では、旧世代の遺物といっていい代物だ。あまりの使用頻度の低さを、40度以上の度数の蓄えとなって現れており、ほとんど新品といっていい状態にあった。小学校に入学した時に渡されて以来、ずっと肌身離さずに持ち続けた。転校を繰り返してきた自らの履歴として、数多くの自宅であった電話番号がそこに記されていた。自身の居場所を忘れまいとする健気さが、どうやら自身にもあったらしい。
 そのカードをただ眺めている自分に気がついた。そして何を考えてか、公衆電話のボックスに籠もり、そのひとつにダイヤルを回してみた。虚しい機械音だけが耳に響いた。何かを口にしかけたけれども、何を口にすればいいのかわからなかった。虚しい機械音だけがその場に残った。
 
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 当時の僕は非常にややこしい精神状況に身を置いていて、空気を吸うことを喉元が拒絶して、常に喘息のような息苦しさを覚えていたし、罪悪感から劣等感、後悔や懺悔など、あらゆるネガティブな感情を贅沢なまでに享受していた。最大公約数的にまとめあげれば、要するに、死にたいという欲求で頭がいっぱいだった。原因も分からないものだから、解決の糸口は見つからず、ただ時間が解決してくれることを祈り続けた。専門的な機関にかかれば何かしらの病名を授けてくれたことだろうけれども、そんな余裕すら持ち合わせていなかったし、誰かに打ち明けることすらままならなかった。打ち明けることができるような人もいなかった。
根底には、居場所がないと感じていたことに大きくあるのだと思う。父親の仕事の関係で転校を繰り返しては、様々な環境に身を置き、離れていった。現在のようにネットの中で関係性を維持する機会にも恵まれなかった。物理的に離れた交友関係は次第に薄れていった。その度に積み上げてきたものを蔑ろになるようで、いつか消えてしまうものに何ひとつ安心できないと怯えた。どうせいなくなってしまうのだからと何事にも距離を置く習慣を、誤った処世術として身に付けてしまった。俯瞰して傍観し、諦観し、孤独となった。結果、他人を求めざるをえない精神状況に追い込まれた。至極真っ当な起承転結を経たに過ぎない。その頃にはもう他人の求め方なんて分からなくなっていた。他人を求めていいだけの、他人に自身の不始末を埋め合わせさせてもいいだけの理由なんて分からなくなっていた。依存を肯定すれば救われる領域は一定あるのだろう。しかしながら当時の自分が逃げ込んだ依存は、それを肯定的に評価されるものだとはどうしても思いたくなかった。手を伸ばせば届くものに縋っただ毛の自分を嫌悪できるだけの余地を残しておきかった。振り出しに戻ったからこそ、贋作ではなく、本物に恋焦がれてしまった。
当時の自身の状況はあくまで否定すべきこととして筆を執っている。当時の精神状況に近付ける努力を注ぎながらも、やはりリンクできるもの、できないものは自身の中で認めることができた。これが成長と呼ばれるものなのか、或いは捨ててしまってはいけないものだったのかは分からない。ただ、当時否定したいと願い続け、始末できずに残って染み付いてしまっている領域は、自身の存在証明足り得てしまっている。否定しつつも、確認することに目的を据えたこの取組は一般論ではなく、限りなく個別論だ。自慰行為以外の何物でもないのかもしれないが、少なくとも自慰行為足り得る程度の効能は期待したい。
 
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 足の甲には重すぎるくらい雪が積もりきっていて、縫合の甘い安物の革の隙間から溢れて、今年の冬の厳しさを物語ってくる。そのことに不快感を覚えるにはあまりに日常生活に溶け込んでいて、特別悪態を吐こうという気にはなれなかった。霞んだ景色に浮かぶ光の束と、誰かが残した足跡を地図代わりに、足を文字通り滑らせていた。
 1月も終わろうという段で、服装も一層深まる反面、大学受験を目前にした僕たちは高校生の身分を脱ぎ去り、新しい環境へ身を投じようとしていた。比較的自由の猶予を設けられた期間に突入し、それぞれがそれぞれ、自身が自身にとってベストな状況へ調整していた。集団行動に馴染めない僕自身は、自宅から徒歩で賄える半径のみを生活範囲と定めた。理由はそれ以外にも、逃げ出せる場所を確保できる範囲でしかその時分には行動できる余裕がなかったことにあった。成績も芳しくなかったこともあり、おそらく浪人期間を要することになるのだろうという予感もあったし、経済的負担に対する親への申し訳なさ以外に、学業に関しては苦慮していなかった。そんなことは些細なこととすら思えた。幸いなことに、その範囲内にはいくつか依存できるだけの友人が存在したし、縋る思いで彼らと時間を共有していた。手段として適切ではなかったにせよ、そうした毎日を送ること以外には選びようがなかった。
 依存先として見繕った男は強く自身の世界を確立させて、自身の築いた前提をもとに理性を貫く潔さと、許容性の低い排他性を両輪の軸に人生を運営していた。持ち前の傲慢さで容赦なく裁くことを躊躇わない彼の姿勢には怯えを感じてはいたものの、その刃で切られることすら望んでいた当時の自分には適任だった。趣味も趣向も合致性よりも不合致性の方が高かったけれど、不思議と会話にはこまらず、ほとんど居候といっていいぐらいには、彼の部屋へ行き通っていた。通って特別何かする訳でもない、目的もない。彼の部屋に蓄積されたゲームや漫画を消費し、無味に時間を消費することの他、すべきことなんて見当たらなかった。このルーティンの中には飼育している犬の散歩も含まれていた。人見知りな性格までも、長く居座る僕には寄り添ってくれるようになり、首紐の手綱を握る事を許してくれるまでになった。何処かに行きたいと吠えるのであれば、どこであろうと連れていった。自分を必要としてくれていると錯覚できた。慰み物として利用しまうことへの罪悪感は色濃く染み付いていた。その日も忙しなく身体を動かし、可愛らしい御機嫌な表情を覗かせて、それが散歩の開始の合図になった。
 石川の冬は酷くどんよりとしていて、雪だか霰だかで支配されているから、おかけでどこまでも灰色で、何の模様も映さない。きっと太陽も月も太陽もどこかに消えてしまったのだと思える程に、この閑静な新興住宅地域では一面版で押されたような景色が続き、始まりも終わりも見えやしない。記憶を頼りに無心で前を歩いていくしかない。新雪に刻んだ自分の足跡をまっすぐ見られないのは、そこになにかを重ねてしまうからだろうか。
 間を挟まれた犬の遥か頭上には我々がいて、訳もなく沈黙が続くのにも不自然だし、当然我々が置かれた立場から、将来の希望や不安などに話題は落ち着いた。少なくとも前方に向けられた内容の言葉に、僕は上手く合わせられなかった。一般論ですら露ほども聞きたくなかった。思考の濁流には死以外住み着いていなかった。どうやって当たり障りのない内容へスライドさせ心の平穏を取り戻そうか、工夫もなにもないまま継続性を無視して言葉をぶつけた。そんな僕の内心を勘繰ってか、様々な言い訳を一身に背負わせた犬は、不機嫌な様子をリード越しに伝えてきたけれど無視し続けた。思考がよぎる余裕を与えずに、少しでも深く見つめることから逃げたかった。強くマフラーを締め直したのは寒さからだけではなかった。それでも沈黙には身を埋めたくなくて、必死に会話の綱渡りに食らいついた。死への羨望がこの身を捉えられないようにどこかに隠れていたかった。 
 極寒に耐えかねて暖を取ろうと照らされた灯りを頼りに自動販売機の前に立った。サンプルの前に引かれたスライドガラスすら雪に覆われていて、上着の裾で払って購入物を吟味した。カフェインの摂取は不安を増加してしまうのではないか、そんな無茶苦茶な迷信にすら振り回されていたから、とびっきり甘い飲み物を選択した。出鱈目に不味くて、川に投げ捨て溜息を吐いた。流れていく缶にも雪が積もり、景色と同化していずれ見えなくなった。
 「例えば、例えばではあるのだけれど」と何の脈絡もなく言葉を弾いた。なんの算段もなくて、言ってるそばから後悔した。しかしながら、だって仕方のない、深く考えることを放棄してしまったのだからと、半ば自暴自棄に、自嘲気味に、そのまま続けることにした。
 「恋人でも、友人でも、或いは通りすがりの見知らぬ人でも構わない。自分の人生を確かに覚えていてくれて、見ていてくれて、…いや違うなぁ。ただ誰かが側にいてくれるだけで、それだけで幸せだなと思える瞬間があったとしたら、それが人生のテッペンなんじゃないかって思えないかな。」
 俯きながら吐き出した言葉は力無くそのまま地面に溢れて消えてしまいそうだった。実際風の音にも遮られていたし、十全に伝達できなかったんじゃないかとも思う。
 「なんだそれ、じゃあアイドルにでもなればいいじゃないか。」
 と小馬鹿な笑いで突つかれた。今から応募するには遅すぎる気もするがな、とも漏らした。それにムッとするわけでもなくただフラットに繋げた。
 「そういうことじゃないんだ。転勤族に生まれた俺は誰かと一貫して共有するって機会が他人より少なかったりするのかなって。」
 うーん…としばらく間を置いてから、「俺にはよく分からないな。この場所で生まれて、今までもずっと生活しているからな。これから先の事は分からないけれど、たぶん居場所のひとつとしてカウントし続けられるだけの過去は積んだつもりだよ。」とおざなりな内容で閉じられた。
彼の買ったホットココアを一口貰い、一息ついた。
 『今尚苛まれているのは結局のところ、そういった類のものなんだ。自分は何かを積み上げることなんてできなくて、空っぽなんじゃないかって怖くなるんだ。』『自分は何処にも根付いてなんていない根無し草で、独りぼっちで、誰にも必要とされてなくて、それが堪らなく苦しいんだ。』そんなセリフを吐ければどれだけいいかと思う反面、溢れそうになる弱音をどういうわけか必死に止めた。同情を誘ってもぎとった言葉に何の価値だってない。
 「そうだよな、隣の芝生が青く見えるだけかもしれない。だけれど、どこか羨ましいんだよ。ある程度自分で環境を選んでいいなんて言われたこの先の状況で、真っ先に思ったのが、そんなことだったりするんだ。」
 「そんなこともあるんだな。くだらない。」
 「そうだよ、だから、ただの感想なんだ。」
どうにか表現を曖昧に、間接的に、抽象性を高めて、意味も内容も薄めた。どこにも響かずに空振りだけは繰り返した。ミルクココアの缶の飲み口から湯気が立ち、積雪が蓋をした。所在なさげに傘をクルクルと回してながら、納得がいかずにピシャリと流れを振り返った。
「いったいなんだってこんな話をしているんだ。こんな無為なこといってたって仕方ないじゃないか。」
「その通りだな。」
その通りだった。口の中がこそばゆく、歯の付け根が乾く。緊張してるわけでもないが、どこか居心地の悪さを覚えている。取捨選択が上手く機能してくれない。海馬あたりが故障したのかもしれない。
「だから、他の何かに夢想してしまうことをどこかで諦めなきゃいけないんじゃないか。」
「自分に期待してしまってるってことなのかな。」
うーん‥‥と曇天の空を眺めながら、彼は自身の考えを述べた。
「否が応でも、18年間生きてきてしまったんだ。時間が経過してしまった以上、何かしら結果が生じてしまうし、その結果の差異こそがその人だと、他所からは見受けられてしまうものさ。その現実と理想のギャップを認められないんじゃないか。」
「現実を確認できるための存在として、或いはその溝を埋め合わせる為に他人を求めているんじゃないかって、そういうことかな。」
「つまり、自分にも、他人にも期待が過ぎてるんじゃないか。」
「たぶん、いくつか当てはまっていると思う。」
強がりだなと、彼は考えが一部認められ、一部否定されたことに満足のいかない複雑な表情を浮かべた。彼の言っていることは大まかには理解できるが、納得はいかなかった。反発の気持ちもいくらかあるが、芯を食っているわけではない。簡易に他人と繋がれたように錯覚し、だからこそ比較できてしまう環境下に身を置いている以上、往々にして覚える劣等感だろうし、僕自身の発言もその範疇だと片付けたのだろう。これまでの発言を整理すればその仮説に結びつくのも無理はないし、自分の表現力の至らなさに原因があるのだから、無闇に無理解の責を彼に求めようとは思わなかった。だが、誤解の溝を無理に埋めるために思考しようとすれば、自分の窮状へ直視しなければならず、それは可能な限り避けたい事態でもあった。その窮状がすくう洞窟へ潜って無事生きて帰れるだけの保障がない。そのまま死ぬ事を選びかねない。それでも絞り出そうとするこの気力は何処からくるのだろうか。泥臭い負けず嫌いの性質からか、それとも彼の言うように他人に期待しているからか。
「相対性と絶対性でいえば、絶対性に分類できるなにかのように思うんだ。そんなものはないって頭では分かってはいるんだけれども、どうしても信じてしまう宝島のようなものなんだ。」
「なら、絶対性のない現実を素直に受け止めることだな」
 絶対的なものなどないと気付いたのはいつのころからだったろうか。その環境環境に求められた偏差的な曖昧な物差しも、排他性に結びつけられはするものの、寄り辺としてまでは盤石に機能してくれない。環境からの要求を無視できるだけの自身を確立できるかが試されている社会であり、選択性の余地が現在にはいくらか確保されていること自体は、幸福でもあり、不安にも繋がってしまう二律背反の関係性にある。僕は幼さ故にその意味を履き違えてしまっていて、その誤解が当時の状況を生み出してしまっている。僕はその代償にようやく気付いて怖気づいる。その事実から逃れるように、社会主義体制下や、封建制度カースト制、世襲制の身分階級が生来的に確立された世界へどこか思考を逃避させた。意思を度外視した、閉鎖の裏切らない条件設定が、何よりも心地良いのではないかという妄念が襲ってくる。鍬を両手に原始的で直接的な、生存と連結された人生に羨望を感じずにはいられなかった。自由意志が何よりも尊いなんて教科書の謳い文句が憎い。選択できるだけの自信をどこで培えればいいというのか。意思に支えられた自身の人生に否定的の評価以外を、今はくだせない精神状況だった。
「そこまでの自信を、一体どうして。」
「面倒くさいことを考えるなお前。…正しいとかじゃないんだぜ。楽しい方を選べよ。」
「最近貸したバガボンドでそんなセリフあったよな」
「バレたか。でもそんなもんじゃないか?俺は今が楽しいよ。」
肯定の基盤が自信にあるというのなら、それはどこから生じるのだろう。自身の意思をまっすぐ貫いてもいいなんて、一体どうやって思えるのだろう。手放しのこの世界に対して、一体何を羅針盤として、足を進めるのだろう。そんなことすらわからないし、自分の居場所すらわからなかった。喜怒哀楽に委ねてもいいと言えるだけの真っ当さを自分の中で認めることができない、自分が楽しいと、悲しいと、あるいは美しいとか、醜いだとか、感じるこの感情は、果たして正しいだろうか。自分が赤だと認識しているものが実は青色だと了承しているんじゃないか、そんなクラシックな恐怖が今も拭えない。
「前提をどこに置けるか、みたいな話な気がする」
「一体なんの話をしているんだ、さっきから。」
 
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 そうして無為に時間が過ぎ、帰り支度を整え、挨拶も程々に玄関の戸を開けた。自宅まで要する5分間。転倒を避ける為に、玄関を抜けれて、テレビのコメンテーターは自分の価値基準が全てと言わんばかりに世論批評を語っているのを見ながら食卓を囲んだ。彼らのいうことは正しいようにも見えるし、間違っているようにも見える。どうにも興味が持てなかったので、適当なタイミングで入浴し、今日の会話を反芻した。意味もなく頭まで潜ってみた。無言が支配している世界には代わりに頭の中の言葉だけが広がった。何か手がかりでもあっただろうかと整理を試みて、案の定、何も見つからない。上がった旨を家族に報告し、自室に戻る。布団の中では羊でもカウントしたり暗記した英単語を反復したり、なるべく何も考えないように作業を続け、意識が朧げになるのを待った。回復の兆しなんてなにも感じられない。おそらくそうした日を、しばらく数珠で繋いだように繰り返すだろう。そうしてこの感情を忘れるまで時間を浪費するのだろう。解決できないのであれば解消を待てばいいんのだ。時間は最大の良薬なのだ、きっとそうに違いない。
 そして事実、そうなった。
 
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 高校の卒業式を終えてから、母親から京都への旅行へ誘われたことがあった。小学生までは一定の頻度で発生していた家族旅行も、弟と共に中学へ進学してからは影を潜めていた。観光地や、美術館、遊園地など、かつては近隣の様々な場所へ連れて行ってくれたものの、それでも母親と2人きりというシチュエーションは今までになかった。直接的に相談したわけではないのだが、母親なりに自分の状況を直感的に察してくれていたのかもしれない。「将来進学するかもしれない大学の見学」と、僕自身身構えなくても良いだけの大義名分も拵えてくれた。もしくは、本当に直接の原因は思うように学力が振るわずにいたことだと考えていたのかもしれない。各校舎とその近隣の観光地へと足を運び、最後には居酒屋で休息をとった。こっそりアルコールを愉しむことも、秘密の共有のようで心が躍った。将来の話へと内容が移った。彼女も教員免許を取得し、教職を志して努力を捧げたものの、自身が生来的に抱える難聴の障がいと、そこに隔たる無理解な現実へ向き合い、夢を諦めたという過去を話した。また自身の友人も、芸術学校へ進学し様々なものを投じたが、結局はその業界を離れてしまったのだと語った。口下手で不器用な性質の父親も、おそらくは自身の望むような人生ではなかったのだろうとも続けた。結ぶ言葉はそこにはなくて、歯切れの悪い進行でその場の会話は途切れた。僕も歯切れの悪い回答だけ残して引き出そうとはしなかった。
 僕自身も絵が好きで、イラストを描き続けていた。人気作品の模写をして、今思えば恥ずかしくなるような自作の物語で漫画のラフの絵も付けたりしていた。真夜中まで明かりを灯して描き続けた様子を見かねて声をかけるのはいつも母親だった。鞄に入った学業用のノートのページには、単語も数式も描かれていなくて、どのページにも似顔絵や模写絵が描かれていた。当時、漫画家になる為の作品が流行っていたこともあり、自分としても将来は漫画家へと表層的には望んでいた。ただ正直なところ、所詮井の中の蛙で、どこか自分の才能に区切りをつけて、その溝に対して努力で埋め合わせられるとは本心では感じられなかった。だから、ただ眺めるだけのスタンスで満足していた。だけれども母親にはまだ純粋に何かを追いかけている息子に見えたのかもしれない。その様子を見かねての言葉だったかもしれない。現実は甘くはないし厳しいけれど、それでも自分に折り合いをつけて、それでも生きていくしかないのよ、という結びを無言に完了させたかったのかもしれない。そんなこと重々承知の小心者の僕には、だからこそ違う意味でその連想を解釈してしまったのだ。僕たちはどこにも逃げられないのだと、呪符の言葉として。別に恨みや妬みも本心からない。ただどこまでも逃げきれないんだと、言われているように感じてしまった、どこまでも重みのある話の連なりだった。どこかで自分自身に期待しているのだと思う、理想郷がどこかにあって、自分はそこに辿り着けるのではないかと、根拠もなく信じていた。だけれどもどこかで決着を見つける事こそが現実的であって、人生なのだと否定をされた気がした。
 
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 万人に開かれたユートピアはないのだ。その幻想に救済は求められない。それでも孤独から逃れたかった。自分でも笑ってしまうくらい。だけれども他人を巻き込んでいいだけの理由がわからなかった。そこに理由を求めることもどこか歪に思えた。だからといって、都合の良さだけを頼りに進んでしまえば、依存の罠にかかってしまうことになるようで嫌悪した。
 他人を求めることに理由を求めてしまうと、それは条件節に結びついてしまう。〇〇があるから、という条件に結びついてしまうと、交換可能性を生じてしまう。個人ではなく、要素に執着してしまうことになる。その環境に自身を馴染ませてしまえば、理由(条件)は次第に曖昧になってくる。やがてそれが唯一無二の存在だと錯覚できるだけの幻想になる。環境にはそういった効能があるように感じた。継続性の全てを否定するわけではないが、蔑ろにされず常に意識を働かせることが最大限求められるべきなのではないか。それは僕には与えられなかったものだった。そのために、他人を求めることに自分自身の解答を常に求められることとなる。交換不可能性を純粋に追求しなければいけない。そんな的外れな強迫観念はいまだに自分の中に巣食い続けている。他人を否定し、自身を肯定するために餌をやり続けた、この醜い化物こそがこの一連の苦境の正体だった。
 この飼い慣らした化物は、理由の動機付けを求めて、いわば言い訳のように前置きをするのではなく、ただ裸の感情だけで動き出せるものことこそが、本当に尊い。条件や要素では片付けられない、チグハグで、出鱈目で、なんの脈絡もだってない、どうしようもなさだけが残った、無様なだけの素直さが何よりも美しい。中島敦の描いた虎を、サリンジャーの求めたイノセントの弾丸で殺すことで、救済の道が開かれるのだ。
 しかしながら、裸の感情を剥き出しにするにはとんでもなく勇気がいる。人間不信が根底にあるのだろう。他人に理解されるはずがない。とても聖人君子な器ではないのだから、自らの醜悪な五臓六腑を露わにするかのようで。だから、勇気を振り絞るには自信が必要だ。自信をどこかで培わなければいけない。自信は肯定された経験の積み重ねから生じるように思うのだけれども、一方で評価は環境によって異なることを強く感じていた。常に相対的で曖昧な判断軸に晒されて、ある環境では肯定され、ある環境では否定され、やがては自分の感覚を信じられなくなった。または、自信とたりえるだけの経験を素直に求めることもできなかった。自己肯定できるだけの機会を根刮ぎ逃避してきた事実もあいまった。何も積みあげたことのない過去の履歴は大きく自分を追い詰めるだけの重みとなった。
 相対性に晒された評価は玉虫色のガラクタのように思える僕が考えたのは、どこかに自己満足の領域を一定確保すべきなのではないかということだった。誰に頼るでもなく、誰に理解されるわけでもなく、自分が許せるだけのものさしが自分の中に築けることが、また何よりも自信につながるのではないかと思うようになった。そ
 自分が自分に許せるだけの価値を纏って、理由が理由たりえない、どうしようもなさに至る時に、初めて他人を求められるのではないだろうか。これが、依存に縋る他逃げ道がなかった僕が至る解決策の全てだった。
 
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 奇しくもこの文章を書いているのは、9年経った当時と同じ季節だった。人付き合いが上手とはいえない自分が皮肉にも営業の業務に着いていた。新規クライアントがメインとなり、無理矢理取ってつけたような理由を頼りに、無謀なアポイントに挑戦し、不自然な笑顔やありもしない愛想を振りまいては、頭を下げる毎日。お世辞にも恵まれた職場とはいえず、残業代未払に疑問を抱かないようにもなり、会ったこともない同僚からの退職の挨拶が節目節目に続くのにも慣れてしまった。尊敬していた上司も転職先を見繕い、関東地域での新規営業担当者が自分一人の状況で、しまいにはパワハラ紛いの事業責任者までが追い出された。業務は増える一方で減ることがない、なんて電車の広告で見る自己啓発本の謳い文句が我が身のこととして降りかかってきた。反面、プライベートな時間まで振り回されまいとスケジュールはなるべく埋めないようになっていった。煩わしい人間関係もないし、心癒されるような環境でもない。3度目の異動が控えた今となっては、あれだけ嫌った転居に何も感じなくなってきた。馴染みのない土地で友人も恋人もいないし、あまり積極的にもなれない。S N Sの近況報告には、学生時代とは異なる様相を見せ、結婚や出産、目標への挑戦などの投稿が続くようになった。苦難はあれど確かな人生を送っているように思えた。僕はさして目標も目的もなく、履歴にはただ空白ばかりが目立ち、交友関係も趣味も能力値も、総じて過去培った、貯蓄とも言えるべきガラクタを消費し続けるばかりだ。それらも徐々に擦り減り、やがて自分に残されたものはゼロになるだろう。環境に慣らされ、必要な感情を蔑ろにして日々を浪費する、かつて徹底して否定したものへ順調に成り果てている。
 35歳が人生のデッドラインだと、最近読んだ小説に描かれていた内容は27歳の自分には無視できないだけの脅迫となっていた。このまま現状維持を求めれば、きっと自己嫌悪の波から今度こそ逃げきれなくなるだろう。モラトリアムは既に完了しているというのに、斜に構えた態度で誤魔化すにも、選択できない愚かしさにも、そろそろ寿命がきている。かつての自分の言葉が呪いとなって降りかかる。自分の中で定めたあるべき理想を裏切るまいと意固地になっているだけなのかもしれない。青臭いことを吐いていた当時の自分は馬鹿だったと切り捨てることもできるのだろうけれども、自分に嘘を許すだけの寛容性すら成熟させられなかった。
 貯まった仕事を消化しようと駆け込んだ2階に位置する喫茶店はいつも以上に寂寥としていた。クリスマスに興じた繁華街は灯が絶えず輝き、週半ばの平日だというのに人並みは絶えることを忘れたようだった。手を繋いだ恋仲の若者、サンタの衣装を纏った店員からケーキを受け取る仕事終わりの婦人など、十人十色の様相を見せる景色は飽きさせることがない。雪が降っていないのは惜しいが、青白く照らされた街並みはどこか幻想的な雰囲気を醸し出して、無条件に幸せになることを保証してくれているかのようだった。ぼんやりとその景色を眺めながら、そもそも他人を求めた理由は一体なんなのだろうと思った。あらゆることに言語化不能な理由が求められるべきだというのなら、孤独の解消にも矛先は向けなければいけない。乏しい経験をもとに記憶を模索したが、納得のいく答えは得られそうにもない。他人を求める根底は、突き詰めれば自分勝手なものになってくるのだろうが、性愛などの身体性に求められるようなタチでもない。効率化などと無機質な類ではない。肯定されたいわけでも、癒されたいわけでもない。自己承認欲求の類ではない。
テーブルに置かれた珈琲をマドラーで掻き混ぜて、漂う湯気を目で追いながら、手元のスマートフォンを所在なく操作した。ネットの海が何か答えてくれると期待でもしたのだろうか。どれだけスクロールしても、自分とは関係のない言葉ばかりが目に映るだけだった。景色を見下ろし行き交う人々に目を配るも、訴えてくるものはなかった。思えば、映画、小説、エッセイ、漫画、学術書自己啓発本も、何かが、誰かがこの疑問に答えを与えてくれるのではないかと期待して手を伸ばしているのではなかろうか。しかし、そこで得られた答えに安心したくないとも考えている。馬鹿げたいたちごっこを続けたことに苦笑した。煙草を箱から取り出し火をつけて、淀んだ空気を一緒に飲み込んだ。いくつもの吸い殻の上に灰を落として、何か閃かないかと思案した。つまらないことばかりが浮かんでは消え、生産性が得られる気配はどこにもなかった。立ち篭める煙は不規則に揺らいで、意味ありげに視界を彷徨い続けた。店内に流れるクリスマスソングはどこまでも幸せを歌い上げて、僕はいつまでも席から立ち上がれずにいた。