自己療法的自己満足
迷いと決断というなれば、まだ自分の中でそれは訪れてはいない。
だけれど、いよいよ逃げていけないのではないかという後悔と反省を含めて、自身の背中を押すものとして、
或いは自己療法の一種として、この告白文こそが転機として機能するものとして、
できるだけ正直に書ければ良いと考えている。
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自分は履歴書だけ見れば真っ当な人生を歩んでいるように思う。
進学校とされる高校に進み、予備校を挟みながらも潰しが効く大学へ身を置き、就職を果たした。
それぞれで程々の成績を残しながら、多少問題こそあれど、後ろ指で指されるようなルートではなかったように思う。
しかしながらその擬態は違和感なく効能しているわけではなく、随所に毒として効能することとなる。
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最初に現れたのは高校三年生の冬だ。大学受験を控えセンター試験の過去問を解く毎日を送っていた冬休みの中、唐突に死にたさに襲われた。
空気を吸うことを喉元が拒否し常に喘息のような息苦しさを覚えていたし、精神的にも、罪悪感と劣等感、後悔や懺悔など、
ネガティブな感情に支配されていた。解決の糸口すら見つからず、ただ時間が解決してくれることを祈り続けた。
専門的な機関にかかれば鬱病の診断を受けていたことだろう、
しかしながら実家を出ていない身の上から、家族の価値観にはどこまでも隷属的で、それは鬱病=怠慢の印を押すものだったし、
また他人に対して疑心暗鬼となっていたため、その選択を選択肢として見据えることは今考えてもできなかっただろう。
結局その死への強迫観念への処理に一年半費やすこととなった。
この出来事は、自身の汚点として鍵をし二度と開けまいとしまいこんだ。
その蓋を開けたのは4年後となった。
大学の卒業を控え、就活の期間に迫った際に上記のことをあえて振り返ろうと考えた。
モラトリアムから脱却し社会人へと歩を進めた途上で再発した際に自身のキャリアを傷つけるものとして立ちはだかること、
それに対して正しい処理を身につけなければ今度こそ死を選んでしまいかねないこと。
何より、死を希求しなくてはならないほど自身が拘りたいポイン トがそこにあるのだろうという確信があった。
原因の究明と解決の為に半年間の留年を選択した。
自分の父親は転勤族と呼ばれる類の職業の人間だった。
父親の転勤異動はすなわち自身の転校、転居、環境の変化がもれなく付いてきた。最初の転勤は物心付く前から発生しており、それは中学2年生まで止めることなく続いた。
環境は常に変更され、また物理的な距離に隔たれることにより、-…携帯電話もパソコンも与えられるものではなかったから、ゼロに戻ることとなった。
自身の馴染みのある環境は次々と自身の手元から離れていく、それが常なのだと幼少の頃より学習せざるを得なかった。
そう強く意識させられたのは、7年間生活を共にし永遠と続くだろうと盲信し、転校の可能性を忘れ油断していた小学6年生の夏休みの頃だった。
常に変化する環境へ固執することは、いつか訪れる別れへの悲しみへ繋がる。
そのことを経験から学び過ぎた自分は、回避する為にも好意を示すことへの抵抗や反発の中で行動することとなった。
常に距離を置いて、いつでも離れられるよう準備を無意識の中で徹底した。
結果、精神的孤立を深めていった。同時にそれは自身のストレートな感情に靄を生じさせることとなた。
その靄は常に自身の行為へブレーキとして存在感を発揮させることとなった。
生来の不器用さや臆病さも相まって、常に理由の中継点を必要とさせた。自身の感情を肯定することを控えた。
好意を向ける恋人や友人へも影響し、信頼というよりは依存に近いもので繋がらざるを得なかった。様々な迷惑をかけたと思う、
結果、何も築けなかった経歴だけが刻み込まれた。
その空虚さへの後悔が逆襲したのだ、それが当時の結論だった。
空虚さから目を背け、形だけ整えよううと逃避した自身への罰が下ったのだ。
自分は何事へも繋がれず、誰からも繋がれず、何者にも紡ぐことができなかった、その空虚さの後悔こそが死にたさの正体だったのだ、そう考えた。
なるべく素直に自分自身を生きてあげようというのが、その時の結論だった。
そうして、また自分自身へ嘘をつくことになる。
大学を卒業して社会人となり、営業職として身を置くこととなる。
会社として問題を抱えながらも、もっともらしい理由を拵えて、それなりな成績を収めながら、この2年間所属してきた。
様々な失敗を経てはきたが、取り返しがつくかつかないか分からない程度の失敗に向き合わなければならない場面へ辿り着いてしまった。
数字への目的意識や責任、他者への訴求力、自己顕示力や承認欲求、そのギャップを意識する劣等感、
手を変え品を変えその言葉を浴びせられたが、気づいたことは何一つとして自分の中で響かない事実だった。
感情が鈍化してることに気がついた。
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理想と現実という言葉を小学校時代、習字の課題として掲げられたことをよく思い出す。
理想、こうなりたいという希望と、現実、そうではない事実。
どうしようもない現実の辛酸を舐めてでも、理想を想い続けろと言われている気がして、なんて残酷なことをするのだろうと思った。
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理由の動機付けを求めて、いわば言い訳のように前置きをするのではなく、
ただ裸の感情だけで動き出せるものことこそが、本当に尊い。
今にして、理由を置き去りに強く直感していることがある。ただ、素直に生きることだけではない。
許されたいのだ、僕は。僕自身が、環境から。
受け入れられたいのだ。居場所が欲しいと痛々しくも荒々しく叫び出したい、
それを許容してくれるものを理想として探しているのだ。
素直になれた数少ないことが、絵を描くことと、文章を書くことだった。
唯一と言っていいのかもしれない。個人技という裏切らないこととして肌身離さず温めてきた。
密かな自己表現を通じて、環境との接触を果たしたいと縋ってきた。
露を取り払った感情の吐露に今でも抵抗感を覚える自分がいる。
この文章を書くのが辛かった、素直になるのが苦痛だった。
だけれど、この文章がどこかへ連れて行ってくれると信じていたい。
理想と現実の隔たりを感じたときに、迷いがあるのだと思う。
現状を把握してなお、希望を想えることが、決断なのだと思う。
僕の場合それを繋げてくれるのは、ただ唯一の好きを続けてこれた文章を書くことであり、絵を描くことなのだろう。
この文章を書くこと、その行為自体が自分の中の迷いとその決断だ。
今は被害者ヅラした醜い独り善がりをどうか許してほしい。
そして願わくば、自分自身が何かにとってそうであったように、誰かのの背中を押すもの、
居場所を与えるもの、寄り添うもの、そうした存在の創出に自分の人生を賭したい、今度は嘘をつくことなく、正直に。
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