ジョンソンRの徒然日記

よつばと!に癒しを求めるクソオタク供へ

情けないリリーフランキーの足取りを見て

 

 万引き家族を垂れ流しながら。

 

 祖父が危篤状態に陥った。危篤と言っていいのか、正式な判断は分からないのが実態ではあるのだが。86歳を迎える祖父は、かつて癌診断を受けたものの治療を拒み、施設へ預けられることも、更なる医療機関に診断されることも拒み、煙草を吸い、ウイスキーを嗜む道を選んだ。存命の祖母も、または僕自身の母親を含んだ3人の息子娘も、その態度に自業自得だと厳しい意見で訝しみ、せめてと医師の訪問だけは祖父に妥協させた。その最中、おそらくトイレへ足を運んでいたであろう祖父が廊下に倒れて意識が戻らなかった。その姿を見かけて呼びつけた医師から処置を受けた。医療機関に精密な検査を施されているわけでもないから詳しいことは分からず医師の中でも推測の域は超えないのだと前置きはあれど、あと1週間が山場なのだと告げられた。山場という言葉は峠と誤って使用した単語だろうと茶化するくらいの余裕は見せれるだけ、覚悟は決まってはいたのが祖母以外の正直な感想だった。それだけ医療機関へ頼ることを避ける祖父の態度に手を焼いていたのだろうと予測できた。

 


 祖母は癌の宣告を受けていた。耳も遠くなり、また足の指の先も痺れて上手く生活することが困難になっているのだと嘆いていた。祖父とは対照的に、定期的に医療機関にかかってはいるものの、その経路までの負担や、診察までの待ち時間にかかるストレスに圧迫感を覚え、また自身より先に旅立つ知人への淋しさにしんどさを感じていた。どうしてこんなしんどい思いをしてまで生きなければいけないのだと頭を悩ませていたのを目にして、その正直な姿に当てられた。

 母方の家系はどちらかというと内向きなエリートもしくは安定思考の性格を有していたように思う。叔父にあたる男性はかつて脚本家を目指していたが挫折し、今は実家で過ごしている。今では工事現場で計測の仕事に就いているが、県内でも有数の高校へ進み、名の通る大学へ歩んだ彼も、望んだような人生ではないのだろうと、祖母から発せられた。または祖父も診察を拒むのは自身が下手に長らえた場合に残される親族を思ってのことなのかもしれないとも呟いた。決して仲の良い祖父と叔父の関係性ではなかった。それぞれの家庭を持った他の息子娘達の自立はともあれ、その2人を繋ぐためにも、癌を背負い生にポジティブな感情を抱けずとも、生きなければいけないのだと言葉を紡いだ祖母を見て、さまざまな意味で、一体何を返していいのか分からなくなった。

 


 漏れなく自身の家族も母親が支柱となっているように思う。そして重ねるように、母親も癌を患ってしまった。月に一度、帰省するようになり、食事に出かけたり買い物に出かけたり、こないだはスタバで季節物のラテを愉しむようになった。母親の話は他でもしたので避けるけれども、やはり彼女がいなければ弟も父親もうまく有機的に結びつかないように思える。それだけ存在感のある役割になっているし、それだけ有難い気持ちは天井なんて飛び抜けて感じるのだ。だけれども、同じものが祖母に、責任感となってのしかかるのだとしたら、それは果たして…、果たしての続きに適切な言葉が思い浮かべられず、喉の奥に引っかかっては拭えない。

 


 家族の在り方は十人十色、多種多様だとは思うし、祖母の在り方は尊敬すべきだし誰かに何かを言われるいわれのないものだ。でも、だけれども、これでいいんだろうかと思っている自分がいるのは否定できない。だからとはいえ、どうすればいいのかもわからない。ただ、疑問として自分に残っている。

 どこかになにかを求めようと是枝裕和監督作品を見返しても、明確な解答は与えてはくれない。これだけが答えなのだとぬるいものを与えられるよりマシなのだけれど、地図もコンパスも頼りない今を救ってくれるものへ縋らせてくれない。要素ばかり増えて、いつまでも、最終的に判断する自分からだけは逃げさせてくれない。流されるだけの立場は終わったのだと、30年の歳月で語ってきた。ようやく、自分のアラサーが始まったように思った。