ジョンソンRの徒然日記

よつばと!に癒しを求めるクソオタク供へ

「家族。」

祖父がこの世を去った。


 祖父は元々重度の肺がんを患い、またコロナやその他の合併症が発生し、2022年10月に自宅で不意に転倒したことを転機に入院が続いていた。元々医療機関にかかるのを可能以上に避けていたために症状は手遅れの域に達していた。最初は市立病院での入院となってはいたが、2つ3つと転院を繰り返した。最後に辿り着いた施設は古めかしい建築物で、おそらく学校施設を改築したであろう造りとなっており、手すりやエレベーターなど、病院機能に必要な装備を後付けで付け足したようなしろものだった。入居している患者は皆例外なく、干からび、人工呼吸器を付けた口を開け、流れるテレビ画面とは正反対に顔を向け、寝崩していた。自律的な生命維持を図れず、機械に身体を支えられているその様は、語弊を恐れずに言語化すれば、「生かされている」人間達だった。祖父はその一角に佇まっていた。


 医師より、祖父の心拍数や脈拍の減少からいよいよ最期の時期なのではないかと伝えられ、帰省を果たした。その場には、祖父の娘息子である姉となる母と、叔父の2人が集った。コロナウイルスのための制限から、2名ずつの面談となり、先ずは僕と母で祖父との面談となった。祖父はこけたように痩せ衰え、骸骨を浮き彫りにさせたような皮膚に身を宿し、口を呆けたように開いたまま、寝転んでいた。看護師の呼びかけもあり、瞑った目を見開いて、声にならないまま口を辛うじて動かしていた。弟に子供が産まれたこと、転職を検討して地元に戻るかもしれないこと、一方的に近況報告をしてその場を去った。叔父2人の面談も終わり、祖父母の家に戻ると、祖母も続けていた癌治療を辞めたと伝えられた。迫り来る副作用にもう体力がついていかないのだという。家から出ることもままならず、日に20時間の睡眠と、遠くなった耳、抜け落ちる毛髪やらなんやらに嫌気がさして、生きる気力のようなものが既に失われているような言葉を溢していた。どうにか振り絞るように祖父を残して先立つことは避けたいと謳った祖母を後にし、帰路にたとうという最中、病院から危篤の連絡が去来した。


 病院に辿り着くと、駆けつけた医師から最後の診察ですと述べられた。耳の遠くなった祖母にはその言葉は伝わらない。機械的に心拍を図り、脈拍を調べ、網膜に光を当てた。


「15時34分、死亡を確認しました」


本能的に感じ取ったのであろう祖母が泣き崩れた。自立することも難しい両脚が椅子から離れたが、頼りなく膝を地面に打たせた。看護婦からは手をとってあげてくださいと告げられたが、僕らは見守る他なかった。

 


続く