ジョンソンRの徒然日記

よつばと!に癒しを求めるクソオタク供へ

酔狂

こないだ、辞職した上司とのお酒の席が設けられた。

正確に言えば辞職ではなくグループ会社への出向であり、またお酒の席といっても数十人単位でお誘いがあったような、いわゆる送別会ではあるが。

 

以前の記事にも記載したが、上司(仮にMとする)は事業部長の運営方針や体制に不満を抱き続けながら業務を重ねていく毎日に精神を疲弊させた。

精神科医からの公的な認定を受けていたかは分からないが、他人から見てもその変遷は見て取れたし、また、後の祭りだが分水嶺のタイミングはいつだったか具に確認できたようにも思う。

一方でM氏は拠点の責任者の役割を担う立場にあるため、弱音を吐露することも許されなかったのだろう。

 

企業はいわゆる過重労働を強いる側面がある一方、いやだからというべきか、目の届く範囲では情を重んじ輪を大切にしようという精神性が存在する。功績者を慰る研修を建前に海外での旅行が企画され、M氏もそこに参加した。M氏は密かに転職活動を展開しており、組織から離れることを密かに決意していたそうだ。参加の当日には、次の環境も自身の検討段階にあり、少なくとも現状からの脱退意思は固かった。

グアムという大それた舞台が用意された空間下で、その恵まれた環境を満足に享受することを自身に許さないまま、地に足のつかない感覚で目の前の光景をただ網膜に流していった。その精神に協調してか、天候は荒涼の様を見せ、瞬く間に嵐に襲われることとなり、漏れる苦笑を禁じ得なかった。

 

「あぁ、そうか。これは自身へ課された罰なのだ。満足に自身の役割を全うすることもできず、また残す部下達への罪悪感から楽しむこともできず、そんな中途半端な俺を天は見透かしているということなのだろうか」

 

そんな気持ちでホテルの窓辺からガラス越しに外の景色を眺めていると、内線のコールが響き、手に取ると企業のトップである会長その人からの着信であった。予定していた項目は達成できそうにないが、普段離れている人達と話す良い機会だと捉え、こうして一人一人を呼び出しているのだという。

M氏も当初は黙ってその場を離れるつもりだった。しかし、自身を気に掛ける会長の心遣いや、何より数十人いる人間の最初の一人に白羽の矢が当たったのも何かの運命なのだろうと、ただ正直に自身の胸のうちを曝け出すこととした。

 

一連の経緯を話し終えると、雲は切れて晴れ間を見せてきた。

運営側は遅れたスケジュールを取り戻すべく奮闘し、ホテル内のアナウンスからその旨を伝える放送が慌しく流れた。会長も何をいうでもなく、黙って話を聞き入れ、立ち上がり去っていった。結果的に会長が面談したのはM氏が最初で最後、ただ一人の相手となった。

 

その日を境に数ヶ月、休職制度を活用し、自身を見つめ直す時間として充てた。その期間は普段会いたくても会えなかったかつての友人との再会や、自身のしたかったことなどに費やした。しかし思考は止まることなかった。最初は過去へ、自身をこの環境に追いやった元凶への辟易に従事したが、あるタイミングから今後の将来について考えてることとなった。常に不安がまとわりついていて離さなかった。

 

それでも、会長への告白と辿ることとなったシチュエーションは何かしら自身に感じることがあったという。運命と称せばチャチな言葉に聞こえるが、天候や面談相手が唯一自身であったことから何まで、導きのようなものが自身にひかれていて、否応無く応えることが自身の使命なのではないかという啓示を信じてみようという気持ちに不思議にさせたのだという。

もちろん都合の良い解釈だということは自覚しているし、スピリチュアルに投身できる程傲慢な経験を得た訳ではないのは理解している。

ただ、自身がまだこの組織に身を置くだけの理由たり得たと、後日談をハイボールの肴に語った。

 

 

この話から教訓めいたことを見出せるのかもしれない。

もしくは、胡散臭く自身に酔う大人の醜態に苦言を呈することだってできることだって、或いはできるのかのしれない。

それでも、自分の人生に酔えるだけの要素を見出せるのは、なんの皮肉もなく幸せなことなのかもしれないと感じた。