ジョンソンRの徒然日記

よつばと!に癒しを求めるクソオタク供へ

バクマン。

叔父は昔、映画の脚本家として生計を立てていたという。Amazonなどでも、彼の名前は確認できるし、(当時としては定かではないが)現在としては著名な俳優陣も参加している作品だった。


彼は20代の隅々までその生活を維持し、30代の頭には区切りをつけ祖父母の住まう実家へ戻ってきた。
あまり余裕のある生活ではなく、彼の選んだ不安定な職業は、決して褒められる種類のものではなかった。
それを見兼ねた祖母は幾度も帰省の話を持ちかけ、また当時近隣に住んでいた姉に当たる僕の母を通じて、随時様子を見るように言われていたという。
当時、小学生であった自分には分からず、遊びに付き合ってくれる年の離れた親戚程度に有難がっていたが、偶に見せる真剣な表情の姉・弟の姿は朧げに覚えている。


僕の親族は所謂硬い職業に就いているケースが多い。僕の父は公務員であり、祖父は銀行員、もう1人の叔父は財閥系のメーカーだ。他にも結婚式で顔を合わせた人々は、弁護士や会計士、医師、もしくは地方議員の人間もいたが、名前だって碌に覚えていない。
だからこそというのもあるが、彼の身の上は異質であり、触れてはいけない腫れ物のような扱いを受けていた。
僕よりも血縁から直接的に繋がっているだろう彼は、恐らく覚悟の上ではあったのだろう。
(誤解を招きたくないので補足しておくが、彼は望もうとすればそういった道を選ぶこともできたはずだ。僕が出会った中でも飛びっきり優秀な人だ。だからこそ、非難と失望の目を向けられるのだ。)


彼が実家に戻った時期には、我々の家庭も実家地方への転居しており、折を見ては彼の元に訪れていた。思えば僕が身につけている趣味や興味の対象は彼から影響するものが多く、また彼も僕自身を気に入ったのか、成人してからは個人として酒の席に誘われる機会も増えていった。


その姿を両親は危惧し、僕自身に釘を刺す言葉に厚みを増していった。
あまり行儀の良い子供ではなかった。従順な態度を示さなかったことで、ある程度の孤立を強いられたりもしたが、昔の話だ。


現在。
自身で生活を組み立てられる環境となる年齢となり、今一度職業を改めようという場面に至る。
転職活動の支援を専門とする担当者にしても、所謂お硬い職業への斡旋傾向が強く、そうではない業界への道筋を聞こうものなら険しい表情を覗かせる。


今一度思うのは、正しいとか間違っているとかそんなことは置いておいて、僕個人として、叔父の選んで進んだ道が羨ましいということだ。
将来への確約も裏付ける実績も置き去りに、覚悟の裸一貫で挑める姿こそ、自分が本当になりたいものだったのかもしれない。